木村正昭著「邪馬台国は沖縄だった」

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「黄金の女王 卑弥呼」の著者は言語学者の視点で、沖縄から南九州にかけてを邪馬台国の舞台として想定。

今回は海洋地質学者からの視点で海底遺跡邪馬台国の関係を解き明かそうとしている著作です。

とにかく超古代の沖縄は日本の原点を考える上ではずせないような気がします。

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さて、いきなりですが沖縄の海底には海底鍾乳洞というものがたくさんあり、ダイバーの人気スポットにもなっているようです。

木村氏がいうには、鍾乳洞というのは地上にしかできないものなので、鍾乳洞がたくさん海底にあるのは、そこが昔陸地であったということだと説明されております。

検索すると、びっくりするような画像があがってきます。こんなものを本当に見ると背筋がぞくぞくしそうです。

まずは海底鍾乳洞の画像を貼っておきます。

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↑宜名真ギナマ海底鍾乳洞(別名 辺戸ヘドドーム)は沖縄本島最北部の辺戸岬近くにあるダイビングポイント、日本で初めて発見された海底鍾乳洞で1万年程前に水没したらしい。

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(画像は個人のブログよりお借りいたしました。すごいですね!)

http://emiclock.blog.so-net.ne.jp/2013-09-23

 

(本文引用)・・・・・・・・・・・・P30~

海底遺跡では目下のところ、与那国島南岸沖100メートルを中心とする「与那国海底遺跡」と沖縄本島北谷沖にある「北谷チャタン海底遺跡」が規模の点では郡を抜いている。

「与那国海底遺跡」の中心的構造物は、巨大な階段ピラミッドのようであるため「与那国海底ピラミッド」と通称されている。

この周辺ではあたかも古代遺跡にあるような円形広場やスタジアム、水源地と思しき跡などが、一万年前の海岸線より内陸部にあたるところに散見される。

平坦なテラスやループ道路もある。

与那国島海底遺跡は、およそ3000年~2000年前にできたと考えられる。炭素14年代測定法とベリリウム10年代測定法より推定した結果だ。

測定する場所により多少の変動はあるものの、2000年前には造られており、1000年もの間、陸上に露出していたことがわかった。

一方の「北谷チャタン海底遺跡」のほうは、沖縄本島南部、嘉手納カデナ町の南に位置する北谷町の沖にある。

陸上にある首里城などのグスク(城)に似ていたため「北谷チャタン海底城郭」と呼ばれている。長径が900メートル、幅は200メートルほどあり、水深20メートルほどの海底から立ち上がっている。陸上にある中城ナカグスク城が長径200メートルほどであることからみると、数倍の大きさがある。

「北谷海底城郭」は今から2000年~1000年前の間に陸上で造られ、1000年前以降に水没していったという結果が出ている。

つまり「北谷海底城郭」は弥生時代中期~後期のものであることがあきらかになった。

この「北谷海底城郭」が邪馬台国の王宮ではなかったかと私は推定したい。

(有名な吉野ヶ里遺跡と構造や大きさがほぼ同じなのである)

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海底鍾乳洞は久米島与論島沖などでも見つかっている。これは前述したようにその前後に大地殻変動があったことを意味している。

大きな鍾乳洞は決して海底ではつくられることはないので、海底鍾乳洞のある水深はそのまま、当時起きた地殻変動による陥没の落差を示している。

その結果、琉球弧(南西諸島)全体に渡る4000年以降のだい地殻変動の姿がうかぶ。それはまた世界規模で起こった地球大変動という両面の要因を持つものであった。

ところで、地球は12000年ほど前に、最後の氷河期は終わった。

このあと温暖期となって海面は上昇するが、海水が増したため地殻への圧力が強まってマグマだまりを押し上げ、火山活動が活発になる。そして、寒冷期に向かうと、地殻は陥没する。温暖期を迎えると火山・地震活動は活発になり、これまで思いもつかなかったような激しい地殻の変動によって、台湾と南西諸島・九州を結ぶ琉球弧の「最後の陸橋」や、台湾や中国と繋がっていたいわゆる「琉球古陸」上で栄えた古代文明も、沈んでいった可能性は強い。

その後さらに沖縄本島北谷沖の海底城郭の調査を進めていったところ、この城郭は紀元前2世紀ごろから造られはじめて紀元前3世紀ごろには存在していたが、それ以降10世紀までの間に水没してしまったことがわかった。

となるとこの北谷海底城郭は、4世紀以降の地殻変動で水没してしまったことになる。

北谷沖だけでなく、少なくとも沖縄本島から与那国島までに認められる、共通した地殻変動である。

この時期は日本において歴史的記載のない「空白の4世紀」とみごとに一致するように見える。この事実はちょうど、中国の史書から倭国に関する記録がいっさいなくなっているに符号している。

やがて5世紀にはいり、政権が大和朝廷に移り、そこでまた使者を中国に送ったことにより国交が復活したと考えられる。が同じ倭国でも、首都は沖縄から大和に変わっていた。と大胆に推察することができる。

 (memo)・・・・・・・・・・・

沖縄の海底遺跡について

http://www.okinawainfo.net/iseki.htm