与那國島の海底遺跡&グスク他

木村正昭氏「邪馬台国は沖縄だった!」という著作を読み始めております

f:id:enkusurimizu:20180408215817j:plain

 

(memo)・・・・・・・・・・・

新川鼻(あらかわばな)という与那国島の最南端の断崖絶壁の近くの海底に与那国海底遺跡があります。

f:id:enkusurimizu:20180408194233j:plain

f:id:enkusurimizu:20180408194308p:plain

 著者の名前がでている記事を見つけました。

沖縄の海底遺跡1

↑記事のなかで「環太平洋に、共通点の多い石造巨大遺跡が連なっていると言う事は、もはや沖縄近海の海底遺跡を単独で考えていく事は意味をなさず、その文明を1つのつながりと考えて行かなければ、このミステリーは解明されない のではないでしょうか。

その立証手段として、与那国遺跡が突破口を作ってくれそうな気がします。」と書かれています。

おそらく環太平洋には石の文明遺跡のネットワークがあったのでしょう。

 

・・・・・・・・・・・

記事の中にでてくるポンペイ島のナンマタール遺跡を載せておきます。

与那国遺跡と関連のある遺跡だと書かれています。

ポンペイとはポンペイ語で「石積み (pehi) の上に (pohn) 」という意味。

f:id:enkusurimizu:20180406115523g:plain

ナンマドール(Nan Madol[注釈 1])は、ミクロネシア連邦ポンペイ州に残る人工島群の総称であり、後述するように、その考古遺跡の規模はオセアニア最大とさえ言われる。

ナンマドールの遺跡群を構成する石材は、サイズによって差があるが5トン(メトリックトン)から25トンほどとも言われ、最も重いものでは推計90トンにもなる。その石切り場は、遺跡から2 kmに位置するマトレニーム、十数 km 離れたチェムェン島の反対側などが挙がっており、21世紀に入ってからは、蛍光X線元素分析法を利用して産地やその変遷を特定する試みなども行われ始めている]。しかしながら、それらの場所から巨石をどう運んだのかについては、カヌーに吊り下げて運んだという説などがあるものの[、詳しい方法は確定しておらず、運んだ巨石を人工島で積み上げていった手法も不明である。少なくとも、彼らは金属器を持たず、水準器滑車車輪のいずれも利用していなかったらしい

f:id:enkusurimizu:20180406115408j:plain

f:id:enkusurimizu:20180406115639j:plain

(memo)・・・・・・

浦島伝説は、日本から南東へ3700キロ離れたところにあるミクロネシアのポナペ島に潮流で漂着して、そこから帰還した漁師の体験が元になった話だという説が放送されたことがある。

この番組によると、ポナペ島南東の海底に、「聖なる都市」という意味のカーニムエイソという海域があり、そこでは、強い磁気のおかげで時間の感覚がなくなってしまうとのことである。この強い磁場を取り囲むように、高さ5mほどの丸い石柱19本が海底に建てられており、さながら海底都市の遺跡のような外観を呈している。さらに、この地域には、次のような伝説がある。

昔、ある男が、海を泳いでいると亀に出会い、泳いで付いて行くとカーニムエイソの海底都市を見つけた。彼は、カーニムエイソでの体験を絶対話してはいけないと言われたにもかかわらず、地上に戻ると、周りの人たちにこのことを話してしまった。すると、その瞬間、男は死んでしまった。

口を開けて秘密を外に漏らしたことが、玉手箱を開けてしまったことに相当するというわけだ。

.....................................................

折口信夫によると、海の彼方あるいは海底に「ニライカナイ」という異郷の浄土があって、そこから神(まれびと)が現れ、現世の地上の人々を訪れるという信仰が琉球諸島にある[2]

この信仰のためなのか、琉球諸島では、浜辺を訪れる亀は神として大切にされている。「ニライカナイ」は、本土の言葉で言えば、常世(とこよ)に相当する、時間を超越した理想郷であり、竜宮城の条件を満たしている。そして、1995年には、竜宮城にふさわしい海底遺跡与那国島近海で発見された。

グラハム・ハンコックによれば、与那国海底遺跡は、1万年以上前に存在した超古代文明によって造られ、氷河時代の終わりに世界を襲った大洪水で水没し、遺棄された巨石建築物である[3]。本当に人間が作ったものかどうかは別として、あの幻想的な石造物が宮殿のように見えることは確かであり、たまたまこれを水中で見つけた昔の琉球の人が、その神秘的な体験からニライカナイ伝説を作り出したという仮説を考えることもできる。

...................................

中国流域長江に伝わるはなし「洞庭湖の竜女」

昔、若い漁夫が、ある乙女を助けたところ、その乙女は、実は竜女だった。彼女の招待で、漁夫は洞庭湖の湖底にある竜宮城に行くことができた。漁夫は、竜宮城で湖の生き物たちに歓待され、ついには竜女と結婚して幸せに暮らした。楽しい日々が続いたが、漁夫はふと、故郷の母親を思い出し、故郷に帰りたいと言うと、竜女は「私に会いたくなったら、いつでもこの箱に向かって私の名を呼びなさい。でも、この手箱を開けてはいけません」と言って、宝の手箱を渡した。

漁夫が故郷に帰ってきてみると、村の様子はすっかり変わり、自分の家は無く、村人たちも知らない人ばかりだった。村の年寄りに聞くと、「子供の頃に聞いた話だが、この辺りに、出て行ったきり帰らぬせがれを待つ婆様が住んでいたということだが、もうとうの昔に亡くなったということじゃ」と言われた。気が動転した漁夫は、竜女に説明を求めようと、思わず手箱を開けてしまった。すると、一筋の白い煙が立ち上がり、若かった漁夫は白髪の老人に変わり、湖のほとりにばったりと倒れて死んだ。

六朝時代に編集された『拾遺記』より(5世紀頃)

..............................................

ケルト人たちの土着的な伝説

騎士オシーン(Oisin)が父や仲間の騎士たちと狩に出かけると、美しい乙女が馬に乗って現れた。彼女は常若の国(Tir na nOg ティル・ナ・ノグ)の王女でニアヴ(Niamh)といい、オシーンと結婚するために来たと言った。オシーンはニアヴに魅了され、彼女と共に行くことを承知した。 オシーンは、馬にまたがってニアヴと共に霧に覆われた海の上を駆けて行った。霧が晴れると、常若の国が現れた。オシーンは、王と王妃に迎えられ、素晴らしい祝宴が何日も続いた。三年が経つのは瞬く間のことだった。

やがて、オシーンは父や仲間が恋しくなり、一度帰ろうと思い立った。ニアヴにそれを告げると、彼女は「この馬から降りてはいけません」と言って馬を用意した。オシーンは決して馬から降りないと約束し、それに乗って、常若の国を後にし、懐かしい故郷に帰った。ところが、目にする光景は、何もかも変わっていて、愕然とする。途中、オシーンは、大勢の小人たちが大きな石の水槽を動かそうとしているのに出会い、彼らを助けようと馬の上から身をかがめて片手で岩を持ったところ、馬から転落した。そして、オシーンは、両足が土に触れると、皺だらけの老人になってしまった。白馬はいなないて駆け去り、二度と戻らなかった。

 

琉球王国の城(グスク)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

f:id:enkusurimizu:20180406140746g:plain

 今帰仁城跡(なきじんぐすくあと)  【今帰仁村
・座喜味城跡(ざきみぐすくあと)  【読谷村
・勝連城跡(かつれんぐすくあと)  【勝連町
・中城城跡(なかぐすくじょうあと)  【中城村
首里城跡(しゅりぐすくあと)  【那覇市
  園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
  玉陵(たまうどぅん)
  識名園(しきなえん)
斎場御嶽(せーふぁうたき)

 

今帰仁城

沖縄県国頭郡今帰仁村今泊

f:id:enkusurimizu:20180406142100j:plain

 

f:id:enkusurimizu:20180406202716j:plain

f:id:enkusurimizu:20180406202804j:plain

f:id:enkusurimizu:20180406142156j:plain

☆座喜味城跡

沖縄県中頭郡読谷村

f:id:enkusurimizu:20180406142812j:plain

 

 

f:id:enkusurimizu:20180406142858j:plain

勝連城跡(かつれんぐすくあと)

f:id:enkusurimizu:20180406143346j:plain

f:id:enkusurimizu:20180406143439j:plain

中城城跡(なかぐすくじょうあと)

f:id:enkusurimizu:20180406143925j:plain

f:id:enkusurimizu:20180406144820j:plain

斎場御嶽(せーふぁうたき)

 

f:id:enkusurimizu:20180406145413j:plain

f:id:enkusurimizu:20180406145736j:plain