加治木義弘「黄金の女王 卑弥呼」

これまでのまとめ

★ツヌガアラシト=アマノヒホコ=ソナカシチ=仲哀天皇

ヒメコソ=アカルヒメ=オオヒルメ=神功皇后

 

 

高天原は南九州の熊毛地方

 

卑弥呼の両親はイザナギイザナミで沖縄の伊是名島にいた。

 

★オオヒルメ(ヒルコ)は流されて大隅半島の大根占(おおねしめ)に着く。

大根占=オニシメ=鬼姫で、「根」はタラシとも読むので「オオタラシシメ」ともなる。これは「大足姫」「大帯姫」であり、神功皇后の別名と同じである。

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神功皇后紀の中には卑弥呼と壱与(または台与・とよ、とも言われる)のふたりの二人の歴史が混じりあっているP91~93

神功皇后は「近畿へやって来て古墳を残している、大和朝廷の皇后である」とされていた。それは、彼女が九州から瀬戸内海沿いに進んだように見えるコースが記紀にあるためである。

仲哀天皇紀:チヌカ(角鹿)に行って、行宮(アングウ:仮の宮)を建てて住んだ。これをケヒの宮という」

これまではこのチヌカを福井県敦賀だと言ってきた。しかしこれはヒメゴゾの夫の天日矛が「チンカ・彦」への当て字で、この「チンカ」は今「ウチナ」と発音している沖縄の古名「チヌ」と日の国の「日」との二つの国名をならべた「名乗り」だと知っている。

それは当たり前のことで、天日矛と仲哀天皇とは同一人物であり、先に確認した仲哀天皇の遺児麛坂(かごさか)皇子, 忍熊(おしくま)皇子が鹿児島の王だったことを考えると、この角鹿を北陸の敦賀だと思うことは「あまりにも遠すぎて無理」である。

 

★麛坂皇子, 忍熊皇子

従来の名前だとこの二つの名前は「カゴサカオウ・オシクマオウ」である。

いったい、これはどこの地名にあうのだろう。

よく見るとこれは二人分でひとつの地域をあらわしていることに気付く。カゴという名で連想する地名は鹿児島だし、オシとクマという名は「襲(オスソ・ソ)=大隅」と「熊襲」と「熊毛」「球磨(クマ)」という名をすぐ連想させる。これらはどれも南九州に集中している地名や部族名だし、まず第一にオオヒルメが上陸した地域の名である。

オオヒルメは絶対に近畿地方へは行ってないのだから、これはどこから見ても鹿児島県を指している。

この「名乗り」で分かるとおり、仲哀天皇の領地は、まだ大和ではなくて、鹿児島県だった。そこへ神功皇后が攻め込んだのである。その場所が「大根占」だったら、彼女こそ「鬼姫」そのものだった。しかしそれは壹與であって、母の卑弥呼の行為ではないらしい、と分かっている。

二人の皇子の母の名前は「大中姫」である。これは「たいちゅうひめ」と読むのが正しい。なぜなら、その夫の仲哀天皇は「帯中彦」だからだ。これも「たいちゅうひこ」と読めば、夫妻の名がきちんとそろうからである。

これはもうひとりの皇后とされている「気長足姫・息長帯姫」とは別人とされているが、それでいいのだろうか?こちらは「ソナカ」と読めば、夫妻の名が一致して一対になるから、やはり正当な名乗りだといわなければならない。

だから皇子たちは神功皇后卑弥呼)の子供だったとすると、それを攻撃して殺したのは神功皇后(壹與)と見ると謎は残らない。

 

★一般に近畿での出来事とされている麛坂皇子, 忍熊皇子の話し

       「忍熊王」と「香坂王」の旧跡地 奈良

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 「西方寺」と「極楽寺」の間を通り、西へ上がって「蛭池」から北側の山へ入ると、押熊町「八幡神社」の東側に忍熊(おしくま)王と兄の香坂(かごさか)王の旧跡地があります。彼等は、仲哀天皇の皇子で、母は彦人大兄の娘・大中姫(おおなかつひめ)です。継母の神功皇后三韓征伐から腹違いの弟(後の応神天皇)を連れて凱旋する時、兄弟で皇后軍を襲おうとしましたが、兄は斗賀野(とがの、大阪市北区兎我野町)で誓約狩(うけがり)の時、猪に食い殺され、弟の忍熊王は、皇后軍を攻めたが、撃破されて、山背の莵道(うじ、宇治)へ逃げ、更に山背と近江の境、逢坂を越え、瀬田の渡し場で入水して亡くなりました。 

★比売碁曾は「姫城」への当て字

オオヒルメと八幡の話が残っていた鹿児島神宮のそばに「姫城」という地名がある。

そこには「姫木山」という山もある。

「木」は「コ」とも読む。「姫木山」は「ヒメコ山」だったのである。

「姫城」は古代には沖縄語で「フィミ・グスッ」と発音されていたであろう。

これは「比売碁曾」とそっくりである。

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★今日のまとめ★

『正八幡縁起』がオオヒルメと書いたのは、壹與(いちよ)女王の一般の呼び名で、

彼女は姉の狭穂(さほ)姫=豊玉姫が生んだ誉都別(ほむつ)皇子を連れてくる。

これが正確な原型なのである。

『記・紀』の記事では、卑弥呼と壹與は、二人の女王が一人の皇后として混入している神功皇后であり、邪馬壹国の女王であって、八幡宮こそ卑弥呼が都にしていた倭人連邦の中心であった。

これが八幡領の歴史であり、卑弥呼が政権を譲った壹與女王の都で、それ以前は「卑弥呼の都」巴利(はり)都(大隅語でハイト)だから住民は「ハイト=隼人(はいと)」と呼ばれたのだということになる。

 ヒメコソ=アカルヒメ=オオヒルメ=神功皇后卑弥呼と壹與