「邪馬台国」か「邪馬壹(イチ)国」か「邪馬臺(ダイ)国」か?

 

 (邪馬台国)の「台」の字は「臺」の略字であり、本来は(邪馬臺国)とうのが正しい。

魏志倭人伝』にはどう書かれているかと云うと、邪馬壹国=(邪馬壱国)=(やまいちこく)と書かれています。

加治木義博氏は「邪馬壹国」も「邪馬臺国」も同じ意味だと言っておられます。

 

インド語のままの発音を漢字で当て字したのが「邪馬臺(ジャムディ)」や「邪馬壹與(ジャムイチ)」。

インド語で「ジャムブ・ディパ=幸福な世界の中心」という言葉が、

鹿児島方言の特徴で短く「ジャムディ」と託ったものへの当て字である。

倭人伝』の主題である「倭」も「ウワイ」という発音で、

女性仏教徒をインド語で「ウパイ」と呼び、中国で「憂婆畏(うばい)」と書くのと同じ意味で、仏教徒集団をさす名詞になったこと。

この「ディパ」は、世界、国、州、島など、大小にかかわらず「地域」を表す言葉である。

「ジャムブ」の本来の意味は、スメラ山の四方に、天高くそぴえている四本の巨大樹の一本で、南にあるものの名なのだが、もともと「シバ神」の名の方言化したもので、

大量にある別名の一つなのである。

その一部を並べてみると、シバ、ジワ、ジャバ、ジャムブとつながり、

ジャバからジャワ、ヤバ、ヤマ、ジャマ、シヤマ、サマ、サバ、スバ、スワ、スマと

いうふうに変化する。

それがヤバ、ヤーベ、エホバと変化したものがユダヤ教唯一神で、キリスト教にまで及んでいるのである。

「ジャムブ・ディパ」とは、「シバ神の国」というのが本来の真意で、

だからこそ「唯一最高の神に守られた世界一安全で幸福な土地」の意味になっていたのである。

「邪馬壹」の邪馬はこれでおわかりのように「シバ神」のことなのである。

これは太陽の神として世界中で知られている。

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日本思想史学者の古田武彦氏は邪馬台国はなくて「邪馬壹国」説を取っておられます

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』「魏志倭人伝」の原本はどれも例外なく邪馬壹国(邪馬壱国)か邪馬一国となっている。これを邪馬台国(邪馬臺国)とするのは根拠に乏しい。

★『邪馬台国」はなかった

古田武彦が45歳のときの著書であり、古田の古代史の分野での最初の単行本であり、「古田古代史学の出発点」とされる。同人のこれに続く日本古代史についての著書である『失われた九州王朝――天皇家以前の古代史――』及び『盗まれた神話――記・紀の秘密――』と合わせて「古田武彦古代史学三部作」と呼ばれている。

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加治木氏はこの説におおいに反対しておられます。

 

鹿児島神宮の町隼人町の心臓部の名である「内山田」という地名があります。

この発音は「ウチヤマダ」だが「宇治山田」でもあるのだ。

この「治」は「チ」という発音もある。この「ウジヤマダ」に沖縄~大隅語の特徴である三母音語で当て字をすると次のようになる。

「ウ=大」「ジャ=邪」「マ=馬」「ダ=臺」

「大」は大日本帝国大韓民国の「大」と似たような使い方である。

現在も伊勢市に「宇治山田」という地名が残っている。

だが、「魏志倭人伝」には「邪馬壹国」は1回だけ出てくるが、「邪馬臺国」は全然出てこない。それは、ヒミコの死で「臺」が滅びて次代のイチヨの「壹(イチ)」の国に変わったからである。そして邪馬壹(イチ)国は鹿児島の隼人町にあったのだ。

 

~memo~

魏志倭人伝では邪馬台国の「台」に用いられた漢字は、当初は「臺(たい)」ではなく「壹(いち)」であったそうです。しかし、『三国志』(3世紀)の魏志倭人伝の後に成立した『後漢書倭伝』(5世紀)では「邪馬臺国」と修正され、その後の『隋書倭国伝』(7世紀)でも「邪馬臺」とされていました。