加治木義弘「黄金の女王 卑弥呼」 卑弥呼の両親はイザナミ・イザナキ

前回のポイント

ツヌガアラシト=アマノヒホコ=ソナカシチ=仲哀天皇

ヒメコソ=アカルヒメ=神功皇后

 

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★「古事記が注意書きで指示する「高天原」の正しい読み方」

古事記』の本文の一番最初のところに、この「高天原」という名が出てくる。
そしてその下に例の「割り注」(マニュアル)が小さい字で書いてある。
それを原文どおりに書いておく。
 
 「訓 高下天 云 阿麻 下効 此」
 
これは「高の字の下の天の字は、オマと読む。
これから後も同じょうに読め」という意味である。
ということは、高天原は「コー・オマ・ゲン」ということになる。
ところがこれまでは「タカ・マガ・ハラ」などと、全然この注意を守らないで平気でいた。
「天」を「オマ」と読まずに「マガ」などと読むだけでなく、
「コー」を「タカ」、「ゲン」を「ハラ」と、全部まちがった読み方をしてきたのである。
 
★「高天原は南九州の能毛地方のこと」
しかし「コー・オマ・ゲン」と正しく読んでも、まだよく分からないと思う。
ところが先に説明したように、この記事の部分は、
南九州より南の地域での歴史だから、三母音の沖縄語で読まねばならない。
を除いて
 
 「コー」は「ク」。
 「オマ」は「マ」。
 「ゲン」は「ギヌ」と読むと
 
「クマギヌ」、沖縄の人ならすぐ「熊毛の」だと分かるのである。
熊毛(クマゲ)というのは、屋久島と種子島など島々ばかりの、鹿児島県の南の海上の郡の名になっているし、山口県にも同じ名の郡がある。
 
★「天照大神(オオヒルメのムチ)はどんな子だったか?」
天照大神の政府が天空のどこかでなく、熊毛の島のどこかにあったことが、これではっきりした。では、彼女はその島の出身だったのだろうか。
『記・紀』には次にように書いてある。
イザナキ(伊弉諾イザナミ伊弉冉)のミコト(尊)が日本列島と山川草木を生んだ後、日の神を生みオオヒルメのムチ(大日霊貴)と名をつけた。
一書では天照大神だという。
次に淡島とヒルコ(蛭児)を生んだが、蛭児は三年たっても足が立たなかったので、
アメノイワクスブネ(天の磐楠船)にのせて、風のまにまに流して捨てた。
 
★「桑幡家に伝わったもう一つ『オオヒルメ物語』」
天照大神のオオヒルメという名は、変わった珍しい名前だが、
実はまったく同じ名をもった「オオヒルメ」の、別の伝承がもう一つある。
いま鹿児島県隼人(はやと)町にある鹿児島神宮は、「大隅(おおすみ)一の宮」、
または「正八幡宮(しょうはちまんぐう)」という。
先祖代々この神宮の神官だったという桑幡(くわはた)家に、
正八幡の縁起(えんぎ)』という古文書が伝わっている。
それは昔の神社解説書『二十二社註式』や、『惟賢比丘(いけんぴく)筆記』にも写され、柳田国男氏の『妹(いも)のカ』でも紹介されている。
 
そのあらすじは次のようなものだ。
「シンタンコク(震旦国)のチン(陳)大王の姫のオオヒルメ(大比留女)が、七歳で子供をみごもって王子を産んだ。王たちは驚いて父親はだれだときくと、
『貴い人と寝た夢を見て目が覚めると朝日が胸にさしていました。
その日から、なにか不安な感じの日が続くと思っているうちにこの子が生まれたのです』と答えた。
王たちは悩んだ末に決心して小さな母子をウツロブネ(空船)に乗せ、
身分を証明する印綬(地位を現わす王印とそれを胸にさげるヒモがセットになったもの)をさずけて、
『流れ着いた所を領地にしなさい』と祈りながら海に押し流した。
船は流れて今の鹿児島県の大隅に着いた。
その王子の名が八幡(ハチマン)なので到着点を八幡崎という。
母のオオヒルメは筑前(福岡県)の若椙(ワカスギ)山に移って、のち「香椎聖母(カシイショウモ)大明神」と崇拝され、王子は大隅にいて正八幡宮に祭られた」というのである。ご覧のとおり「オオヒルメ」という名が、天照大神と同じ名であるだけでなく、
幼い男女が両親と離れて暮らすという点や、
ヒルコの話の子供が船で流されるというのとも共通している。
また日の光が体にさして夫なしで子供を産んだというのはヒメコソと共通し、そして生まれた子供が、共に「八幡」という名をもっているのは神功皇后と共通している。
さらに直接、鹿児島神宮へいって調べてみると、表に信じられているのとは違って、主祭神は「ヒルコのミコト」。
「ヒルコ」と八幡とが、実は同一人だということになる。
チン大王という名も「天日矛」の話で明らかになったように、沖縄方言の「天=チン」と同じである。
〒899-5116 鹿児島県霧島市隼人町内2496

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香椎宮

祭  神:仲哀天皇 神功皇后
説  明:ご由緒書を引用します。

仲哀天皇は、天下を治めんと志し、仲哀天皇八年(199)に熊襲平定の為に筑紫の地に下り、橿日宮(カシイノミヤ)を営まれました。しかし、翌仲哀天皇九年(200)志半ばにして崩御されました。

その御意志を継いだ神功皇后が、自ら祠を建て仲哀天皇の御神霊を祀られたのが当宮の起源です。
次いで、神功皇后の宮は元正天皇の養老七年(723)に神功皇后御自身の御神託により朝廷が九州に詔して社殿の造営を行い、聖武天皇神亀元年(724)に竣工したもので、この両宮を併せて香椎廟と称しました。明治十八年に関平退社香椎宮と称し、戦後は香椎宮と称しています」
住  所:福岡県福岡市東区香椎4-16-1

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☆ シンタンコク(震旦国)のチン(陳)とは?

種子島のことである。

「陳」は沖縄の原名「テン=天」と同じ。

「震」も「シン」であるが、沖縄語では「チン」となる。

「チン・タニ・国」すなわち「天・種子・国」に対する当て字のひとつ。

種子島のロケット基地に近い茎永(くきなが)に「宝満の池」と古墳があり、「宝満神社」があります。豊玉彦豊玉姫の置籍とされています。

 ☆宝満神社

神社名カナ:ホウマンジンジャ

鎮座地:〒891-3703 熊毛郡南種子町茎永3786

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★「天照大神の神代(かみよ)と卑弥呼の3世紀は同じ時代?」
しかし若い読者は別として、昔の天照大神観(かん)が頭に残っている方には
「しかし神代に入っている天照大神と3世紀の卑弥呼とでは、たとえ名前がぴったり一致しても、また話の内容がどんなに似ていても、かんじんの「時代」が違いすぎるのではないか?」と、まだ疑問の残っている方もあると思う。
天照大神の話の中でよく知られているものの一つに、天孫降臨がある。
ニニギのミコトに
 
 「ヤサカニ(八坂瓊)の曲玉」
 
 「ヤタ(八咫)の鏡」
 
 「クサナギ(草薙)のツルギ(剣)」
 
 という三種の神器を与えて、
豊葦原(とよあしはら)のミズホの国は我が子孫の君たるべき地なり、なんじ皇孫ゆきてしらせ…」といって、多くの家臣たちをつけて、日向の高千穂の峰にくだらせた、
という話がある。
この「鏡」はいうまでもなく青銅鏡であるが、「剣」は鉄製である。
それは実物またはそのままのスタイルで複製(レブリカ)されたものが、天皇家その他に残っているから、その様式で鉄製の剣だったことが確認できているのである。
だとすれば、天照大神はまちがいなく「青銅器時代の終り」「鉄器時代の始め」の人物なのである。
ではもう一方の卑弥呼はどうだろう。彼女の記録でいちばん有名なのは、彼女が魏の皇帝から百面の「青銅の鏡」をプレゼントされたことである。それは3世紀で、239年のことだとはっきりしている。その時はまさに日本の「青銅器時代の終り・鉄器時代の始め」にあたっている。
 
 天照大神卑弥呼の時代は完全に一致するのだ。
 
天照大神の物語にしろ、オオヒルメの縁起にしろ、どうみてもおとぎ話じゃないか。
とても実際にあった話だとは思えない」という声が聞こえそうである。
もし本当に天照大神とオオヒルメが同一人なら、その両親は単に「イザナキ、イザナミのミコトだ」
それはこれまでに得られた答えでは、同時に神功皇后の両親であり、
なによりもまず、この本の主人公「卑弥呼」の両親なのだ。
それがはたして分かるだろうか?これまでの調査で、私たちのヒロインは、まずその名前が、沖縄語の影響で方言化していることが分かった。またその行動範囲も鹿児島県の南の海上沖縄県に至る南の島々であることも分かった。だとすれば、その島々の中に、ナゾを解くカギがあることはまちがいない。すべての島々を、
一つ一つ検討してみると実に多くの手掛りが見つかった。卑弥呼がどこで生まれたか。
彼女の両親がだれだったか、疑う余地もなくはっきり、完全に分かったのである。
沖縄本島の北に沖絶県島尻郡という海域がある「海洋博」のあった本部(もとぶ)半島の真北だ。そこにイゼナジマ(伊是名島)という面積5平方km。
人口2千人ばかりの島がある。全島でイゼナソン(伊是名村)、一村だ。
沖縄語がどんな言葉だったか、思い出していただきたい。
それは三母音語で、の発音がないのが特徴だった。
だとすればこの島の名はナンダ……?
「Izena]には「e」があるではないか……。
これはいうまでもなく、当て字のほうが間違っているのである。
1609年4月1日、島津軍に首里(しゅり)城を落とされて、表面は独立国のままだったが、実質的には属領になった沖縄は鹿児島からきた役人によって治められていた。
鹿児島語は「aをe」と発音する。そのため本来「イザナ」だったこの島の名が
「イゼナ」と発音されるようになった。それが後世には「eをi」と発音する沖縄語のくせで「イジナ」と発音されるように変わったので、本来の「イザナ」が忘れられてしまったのである。

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★「イザナキ・イザナミのミコトは実際に存在していた」
このイザナキ・イザナミの二神が、夫妻であることはよく知られているが、その名は最後の一字が違っているので、史学では「岐・美(キ・ミ)二神」と略称する。
キが男性、ミが女性の名である。沖縄語では「キはチ」だった。
そもそも「キミ」という発音がないのである。
だから本来はこの「岐」の字は「チ」と読まなければいけない。
チとは何か?彼は天照大神の父だったのであるから、
「父を意味するチ」だったのである。
「ミ」は女性だから、普通の古語なら「女(メ)」であるが、
沖縄語だから「ミ」と発音されているのである。
「イザナキ」とは「伊是名の父」。
イザナミ」とは「伊是名・女」だったのである。
この「父」の真意は、単に天照大神の父というだけでなく、
「全・伊是名島民の父」すなわち「伊是名・王」を意味する。
そして彼こそが、「卑弥呼の実父」だったのである。
★ 「天照大神を祭る伊勢は沖縄が本家だった」
伊是名という名は島の名前だといってしまえばそれまでだが、
それには何かの意味があるはずである。それを明らかにしておこう。
これはそのまま読めば「イゼナ」であるが、濁音のなかった時代には何だったのか。
それは「イセナ」。「ナ」は古代の「国を意味する名詞の一つ」である。
先にお話したミマナ(任那)のほか、嘉手納、恩納、山名、猪名、伊那、稲、古那、与那国といった地名に今も残っている。
これは「イセ国」で、漢字で書けば「伊勢国」だったのである。
これでなぜ、天照大神が「伊勢の大神」だったかが分かったと思う。
 
~memo~
沖縄の民俗について、記紀の記述内容との類似性から詳しく研究されているが、卑弥呼との類似性を公にする人は見当らない。大変良く似た習俗なのに。
 沖縄では聞得大君(きこえおおぎみ)と呼ばれた女性が国王と王国全土を霊的に守護するものとされていた。「聞得」は尊称で「君」とは神のことらしい。初代の聞得大君琉球王朝第3代尚真王の妹であった。琉球王国は1422年頃琉球を統一するが、それ以前は小豪族が互いに攻め合ったグスク時代が12世紀頃から続いていた。各豪族領域には宗教的な最高権威者であった祝女(ノロ)と呼ばれる女司祭が居た。祝女は所謂巫女ではなく真の司祭である。シャーマニズムから類推される巫女は「ゆた」と呼ばれ別に存在した。
尚真王祝女を組織化し頂点に聞得大君を置いたが、聞得大君首里地域の祝女でもあり、祝女の習俗は古い時代から継続していたものと考えられている。祝女は神々と交信することのできる存在であり、また祭祀の間はその身に神を憑依し、神そのものになる存在であった。琉球には独特な、「おなり神信仰」がある。妹を兄の「おなり神」と呼び、妹を神格化し、その霊力が特に兄に強力に作用し、守り神のごとく守護すると考える信仰で、聞得大君首里城の中で御嶽(うたき)の儀式を司った。御嶽とは元来森の空間、泉、川、島など神が降臨する場所で、男子禁制である。
 
最後の阿応理屋恵ノロの写真沖縄のノロ
 
 

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