加治木義弘「黄金の女王 卑弥呼」

落合史観とともに古代史のほうは言語学者の加治木義弘氏の著作をもとにブログを書いてみたいと思います。

まずはやはり邪馬台国でしょうか?一般的にこれほど謎とロマンに満ちた題材は他にないのではないでしょうか?邪馬台国に関しては、江戸時代からはじまっていまでも白熱気味です。九州説か大和説かにはじまり、現在では日本各地に邪馬台国説があり、海外ではインドネシアなんかも候補地にあがっております。

少しずつ、ブログを書くことによって考察しつつ、自分のメモとしてまとめていきたいと思っています。真実はおそらく謎のままだとは思いますが、紀元後の歴史がはじまったとき邪馬台国があらわれ、それから神武天皇の出現があり今の日本国が形となっていくのでしょう。

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さて、ブログを書くにあたって、さまざまな説に満ちた著作の中で、私がいちばん理解しやすく、ハッキリその世界が想像でき、すんなりはいっていけた本をご紹介しつつ内容をまとめたいと思います。古代史はなにが事実かは本当のところはわからないのかもしれませんが、自分なりの古代歴史観というものはあったほうがよいのは当然です。それは自分の中でくるくると変わっていくかもしれませんが、それが歴史冒険の醍醐味でもあります。そして現在の遺跡を探検することにより少しでもその時代を想像できる喜びや楽しみは何も知らないよりは計り知れない価値を持っています。歴史は太古から連綿と続いているという不思議な認識と自分といにしえとのつながり、古代の人たちに思いを馳せる(あきらかに現代人とはすべてにおいて違うでしょう)時間をもつこと、その他いろいろな思索の材料が埋もれています。そして更には、この宇宙というものや自分の存在に思いを馳せ、更なる謎にぶち当たるのを楽しむのです。

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卑弥呼の正しい読み方(発音)

これは卑弥呼の時代の「魏」の国の音で発音しないと正しい読み方はわからない。

スエーデンの中国学者カールグレンの中国語時代別比較でもって「魏志倭人伝」の中の本当の発音がよみがえったのである。

それによると「ピェ・ミャル・ゴ」となるらしい。

これはアイヌ語に似ているそうですが、マレー語にも似ているそうです。

アイヌ語では「ピ・ミク」に近い。「ピ」は解くの意味。「ミク」は告げるの意味。

マレー語では「ペーメール」「ペーメーロク」に近い。前者は政府の意味。後者は抱擁する者の意味。

さてそれが日本では「ヒミコ」になる。

・ピェに相当するその時代の日本語での漢字

稗、冷、氷、比、日、火、

・ミャルあるいはミエに相当する語

宮、見、造(ミヤツコ)、三重、耳、御、美、目、芽、女、売、馬

・ゴに相当する語

御、五、呉、語、午、牛、子、胡、期、許

日本ではなぜ「ピェ・ミャル」が「ヒミ」になったのか

これは三母音の沖縄語の影響だそうです。

沖縄語にはe(え)とo(お)の発音がありません。「え」の発音は「い」に変わり、「お」の発音は「う」に変わります。

ハ行の発音は「ふぁ、ふぃ、ふ、ふぇ、ふぉ」という感じになる。

なので「ピェ」は「ふぃ」になる。

「ミャル」は現在でも沖縄では「宮良」さんという姓があるので、そんなに変わらない。

なので、卑弥呼は「ふぃみぇ(みゃ)こ」と発音された沖縄語にもっとも近いということらしい。

ここでさらに問題になるのは沖縄語には「お」と「え」の発音がない。

「こ」の処理はどうなるのか?本来なら「こ」は「く」に変わるので「ふぃみぇく」という発音になるはずだ。

で、

★昔は沖縄にもいたアイヌの人たち

3世紀の沖縄住民がこの「ふぃ」を「ピ」と発音したなら「ピミク」になる。これは先ほどのアイヌ語とまったく同じである。

沖縄には今もアイヌ系の顔かたちと体格が非常によく似た人が多い。

九州の大隅も沖縄語の影響が濃い地域。ここでは鹿児島、おきなわ双方の言葉が同居している。大隅では、沖縄語とは反対に「イ・ウ」を「エ・オ」と発音するのである。なので「ピミク」から「フィミク」になり後世に「ヒミコ」と変わった可能性がじゅうぶん考えられる。

 さて、記紀には「ヒミコ」に一致する名は見つからないから、「風土記」で見てみると「肥前国風土記」に「弟日姫子」と、「姫社(ヒメゴソ)郷」というのが出てくる。

日本書紀垂仁天皇紀には「比売語曽(ヒメゴソ)」の物語が出てくる。

垂仁天皇紀の不思議な「比売語曽(ヒメゴソ)物語」

日本書紀』では垂仁天皇2年条の分注として2つの所伝が記載されている。

①都怒我阿羅斯等は自分の牛に荷物を背負わせて田舎へ行ったが、牛が急にいなくなってしまった。足跡を追って村の中に入ると、その村の役人が、「この荷の内容からすると、この牛の持ち主はこの牛を食べようとしているのだろう」と言って食べてしまったという。都怒我阿羅斯等は牛の代償として、その村で神として祀られている白い石を譲り受けた。石を持ち帰って寝床に置くと、石は美しい娘になった。
都怒我阿羅斯等が喜んで娘と性交しようとしたが、目を離したすきに娘はいなくなってしまった。都怒我阿羅斯等の妻によれば、娘は東の方へ行ったという。娘は難波に至って比売語曾社の神となり、また、豊国の国前郡へ至って比売語曾社の神となり、二箇所で祀られているという。

所伝に見える「比売語曽社」のうち、難波の社は比売許曽神社(大阪府大阪市東成区、式内名神大社)、豊国国前郡の社は比売語曽社(大分県東国東郡姫島村)に比定される。

崇神天皇の時、額に角の生えた都怒我阿羅斯(ツヌガアラシト)等が船で穴門から出雲国を経て笥飯浦に来着したという。そしてこれが「角鹿(つぬが)」の語源であるとしている(角鹿からのちに敦賀に転訛)。また垂仁天皇の時の帰国の際、天皇は阿羅斯(アラシト)等に崇神天皇の諱(御間城<みまき>天皇)の「みまき」を国名にするよう詔した(任那(弥摩那)の語源)。その時に阿羅斯等に下賜した赤絹を新羅が奪ったといい、これが新羅任那の争いの始まりであるとする。

 ②とよく似た話しとして次のようなものもある

ミマナ(任那)の人、ソナカシチ(蘇那曷叱智)が「国に帰らせてください」と願いでた。

これは前の天皇の時にきて、まだ帰らずにいたのか。

そこで天皇は赤い絹百巻をミマナ王へ土産にもたせて帰した。

ところがシラギ(新羅)人が途中で、その絹をとってしまった。二つの国が仲が悪くなった原因はこれだ」と書いてある。

 

★蘇那曷叱智(ソナカシチ)と都怒我阿羅斯(ツヌガアラシト)は同一人物ではないか?

さらに、蘇那曷叱智(ソナカシチ)はアメノヒホコという別名も持っている。

 

③「古事記」の応神記に「新羅国・阿倶沼(アグヌマ)の畔で昼寝していた一人の女の陰部を太陽の光が射し、妊った女は赤い玉を産んだ。これを見ていた一人の男が赤玉を貰いうけたが、新羅の王子・アメノヒホコがこの赤玉を手に入れた。ヒホコは、この赤玉を持ち帰って床に置いていたら美しい乙女と化し、ヒホコはこの乙女の結婚した。
 ある時、心奢ったヒホコが妻を罵ると、妻は『吾が祖(オヤ)の国に行く』といって小舟に乗って渡来し、難波に留まった」(大意)
 とあり、
「これは難波の比売許曽神社(ヒメコソ)に坐すアカルヒメという神である」
との注記がある。

ここまでをまとめると、

ツヌガアラシト=ソナカシチ=アメノヒホコである。

ヒメコソ=アカルヒメである。

なぜ人の名前がこんなに変わるのであろうか?

これを加治木氏の言語学を用いて紐解いていくのが本書なのです。

次回はそれをまとめていきたいと思います。

~memo~

赤留比売神社  

杭全神社境外末社
大阪市平野区平野東2-10
祭神-赤留比売命(アカルヒメ)

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通常、アカルヒメが祀られた“難波のヒメコソ神社”は東成区にある比売許曽神社とされているが、何故か、比売許曽神社の祭神はアカルヒメではなく、記紀神話に登場するシタテルヒメとなっている(別項・比売許曽神社参照)。

 

比売語曽神社
大分県東国東郡姫島村。 
祭神:比売語曽神

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国東半島の北東部、伊美港から北東へ5Kmの沖、姫島にある。

 

比売語曽神社

大阪府大阪市東成区東小橋3-8-14

下照比売命を主祭神とする。

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気比神宮の摂社・角鹿神社(つぬが)

ご祭神

都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)

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祟神58年(紀元前40年)、天鈴(あすず)678年8月、ツノガアラシトが来日。
 祟神天皇に5年仕えて帰るとき、ツノガアラシトの国に任那(みまな)という国号を与えられた。
 ツノガアラシトが半島についたとき、新羅の国から日本からの土産を奪われ、新羅任那の間で争いが起きた。
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★都怒我阿羅斯(ツヌガアラシト)=蘇那曷叱智(ソナカシチ)=天日矛(アメノヒホコ)(みんな同一人物)
①濁音は古代では使わない。ツヌガ→ツヌカ
②沖縄では「ツ」を「チ」と発音する場合が多い。ツヌカ→チヌカ
③「チヌカ」は実際の発音では「チンカ」に近く、その意味は「天下」のこと。
④「下」(カ)は「日」にも置き換えられる。ツヌガ=天日
⑤「都」は「ト」の音にもなる。「蘇」は「ス」の音にもなる。
⑥「シト」は「ヒト」の鹿児島なまりであるし、「シチ」は「シト」の沖縄なまり。
「ホコ」もまた同じものの変化したもの。「火木」と書いたものは「シチ」「シト」「シコ」「ヒキ」「ヒコ」「ホコ」などの音読みがある。
以上のことからツヌガアラシトとソナカシチとアメノヒホコは同一人物である可能性は強い。
しかし「アラ」の音はどうなるのという問題が残る。
曷」は「アッ」という発音をする。
「我」は「ガ」であり「~が」という助詞として扱った。当時はそれは省略されたりした。
蘇那ガ曷叱智→ソナガアッシチとも書ける
都怒我阿羅斯と同じ発音になる。
 
さて、そのスナカシチには立派な歴史上の名前が残っているのである。
スナカシチ=仲哀天皇(足仲彦天皇)である。
いままでの定義にあてはめると「足仲彦」はスナカシチという音で読めることがわかる
さて以上のことより、仲哀天皇の皇后(神功皇后)はヒメコソの神ではないかと仮定することができるのだ。
次回は第2章にはいります。