落合・吉薗秘史3「日本皇統が創めたハプスブルク大公家」  軽皇子はピピン2世

今日の内容は途轍もないものです。

とりあえず落合史観の内容のみ簡単にまとめて書き記しておきます。

★36代孝徳天皇軽皇子:かるのみこ)645年~654年

皇極天皇の弟。

孝徳天皇の皇子は有間皇子。この有間皇子が渡欧してメロヴィング朝フランク王国の執権であるピピン2世と同体となる。同体とは2人で一役の仕事をすること。

686年 有間皇子の子供カール・マルテル誕生。

カール・マルテルの子供ピピン3世はメロヴィング王朝を廃止し、カロリング王朝を建てる。(日本ではこの頃天武朝の時代)

ここに日本皇統カロリング朝フランク王国誕生。

後醍醐天皇の皇子の護良親王の皇子がベルギー王家、オランダ王家の創建に当たる。

これを欧州大塔宮とする。

★栄仁(よしひと)親王(初代伏見宮)の王子である治仁(はるひと)王が息子をハプスブルグ家に入れてフリードリッヒ3世とする。母親はポーランド王女であるツィンバルカ・マゾヴィエッカ。この情報はまだ詳細不明な部分も多いとのこと。

★1815年ウィーン会議にて、日本の強制開国が決定。

このころから伏見宮は海外の戦略に専念する。

そのため国内には閑院宮家を新設する。

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(memo)・・・・・・・・・・・・・・

年表

712 奈良時代 日本古事記が完成する。

   713 奈良時代 日本 諸国に風土記をつくる命が出される。
   714 中世 ヨーロッパ カール=マルテルがフランク王国の宮宰になる
   716 中世 北アジア ビルゲ可汗が即位し、東突厥が復興する
   718 奈良時代 日本 藤原不比等らが『養老律令』を編纂する。

   720 奈良時代 日本 舎人親王が中心となり日本書紀が編集

     され、元正天皇に奏上される。

   722 中世 中国 唐で募兵制が実施される
   723 奈良時代 日本 長屋王政権のもと、三世一身法(養老七年の格)が制定される。
   724 奈良時代 日本 聖武天皇が即位する。
   724 奈良時代 日本 多賀城が建設される。東北地方の拠点とされ鎮守府が置かれた。
   726 中世 ヨーロッパ ビザンツ帝国皇帝のレオン(レオ)3世が聖像禁止令を発布する
   727 奈良時代 日本 第1回渤海使が送られてくる。
   729 奈良時代 日本 藤原四子長屋王に謀反の疑いをかけて自殺させる長屋王の変
   729 奈良時代 日本 藤原不比等県犬養橘三千代との間に生まれた光明子が、聖武天皇の皇后となる。
   730 奈良時代 日本 興福寺に施薬院を設置する
   732 中世 ヨーロッパ トゥール・ポワティエ間の戦いでフランク王国の宮宰カール=マルテルがイスラム軍を撃退する
   737 奈良時代 日本 藤原四子が当時流行していた天然痘で次々に死去する。
   740 奈良時代 日本 九州で藤原広嗣の乱が起こる。
   741 奈良時代 日本 国分寺建立の詔が出され、国ごとに国分寺国分尼寺の建立が命じられる。
   743 奈良時代 日本 墾田永年私財法が発布される。
   743 奈良時代 日本 大仏造立の詔が出される。
   744 中世 北アジア ウイグルが東突厥を滅ぼして王国を建てる
   750 中世 西アジア アブー=アルアッバースアッバース朝を開く。都はバグダード
   751 中世 ヨーロッパ カール=マルテルの子であるピピン3世(小ピピン)がフランク王国カロリング朝を開く
   751 中世 西アジア タラス河畔の戦いで唐の武将高仙芝がイスラム軍に敗れる。この時製紙法が西方に伝わる
   751 奈良時代 日本 日本最古の漢詩文集『懐風藻』がつくられる。
   752 奈良時代 日本 盧舎那大仏が完成し、開眼供養会が行われる。
   754 中世 ヨーロッパ フランク国王ピピン3世(小ピピン)がラヴェンナ地方などを教皇に献上する(教皇領の始まり)
   754 奈良時代 日本 唐から鑑真が来日し、戒律を伝える。
   755 中世 中国 唐の節度使安禄山とその部下である史思明が中心となり安史の乱を起こす
   756 中世 ヨーロッパ ウマイヤ朝の一族がイベリア半島イスラム王朝である後ウマイヤ朝を建てる。都はコルドバ
   756 奈良時代 日本 東大寺正倉院聖武天皇の遺品が納められる。
   757 奈良時代 日本 養老律令藤原仲麻呂によって施行される。
   757 奈良時代 日本 藤原仲麻呂橘奈良麻呂の変をおさえる。
   764 奈良時代 日本 藤原仲麻呂道鏡を倒そうと乱を起こす(藤原仲麻呂恵美押勝)の乱)。
   765 奈良時代 日本 法相宗の僧の道鏡太政大臣禅師につく。
   766 奈良時代 日本 道鏡が法王となる。
   768 中世 ヨーロッパ カール大帝シャルルマーニュ)がフランク国王となる
   770 奈良時代 日本 保護者であった称徳天皇が急死し、道鏡が下野(しもつけ)に追放される。
   770年頃 奈良時代 日本 万葉集が成立する。
   774 中世 ヨーロッパ カール大帝シャルルマーニュ)がランゴバルド王国を滅ぼす
   780 中世 中国 唐の宰相楊炎の建議により、両税法が実施される
   781 奈良時代 日本 桓武天皇が即位する。
   784 平安時代 日本 桓武天皇長岡京に遷都する
   786 中世 西アジア アッバース朝第5代カリフのハールーン=アッラシードが即位する
   794 中世 日本 桓武天皇平安京への遷都を行う
   794 平安時代 日本 桓武天皇平安京に遷都する。
   797 平安時代 日本 坂上田村麻呂征夷大将軍に任命される。
   800 中世 ヨーロッパ カール大帝ローマ教皇レオ3世から西ローマ皇帝の帝冠を授けられる
   802 中世 ヨーロッパ エグバート(エグベルト)がウェセックス王に即位する
   802 平安時代 日本 胆沢城が築かれ、多賀城から鎮守府が移される。

   804 平安時代 日本 最澄伝教大師)と空海弘法大師)が唐に渡る。

  

https://kuhuu.info/2017/10/29/nenpyou/

 

 

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下記のような記事もあります。

文武天皇に関する疑問点
文武天皇の即位(697)が日本書紀(720)に書かれていない
続日本紀」では文武天皇(697~707)は軽皇子である草壁皇子の子とされています。その母の持統天皇の孫となっています。しかし、720年の「日本書紀」で記されるべきこの「史実」が「日本書紀」からは削除されていることが不思議です。なぜ書かなかったのか?書かなかったのはなぜ?

軽皇子は天武の時代2人存在していたのですかね。

この記事は文武天皇新羅の文武王ではないかと書かれた記事です。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=194237

まとめると、天武天皇の時代に天武天皇の出自である新羅朝鮮半島を統一し、天武天皇の一族は一部欧州に行きフランク王国建国に関与したということになります。

そのうえに、持統天皇は中国の則天武后だという説もなかなか信憑性があります。

655年、武則天則天武后)が皇后に即位。(唐の実権を掌握)

660年、武則天百済討伐。

667年、武則天、旧百済倭国連合軍に勝利(白村江の戦い

668年、天智天皇即位。 近江朝廷之令(近江令)制定

672年、武則天高句麗を殲滅。
 
672年、壬申の乱

673年、天武天皇即位(元号:朱鳥)

686年、天武天皇崩御

689年、飛鳥浄御原令

690年、武則天、自ら皇位につき国号を「武周」に改める。

690年、持統天皇即位(父:天智天皇) 

690年、藤原京建設開始
 
701年、日本列島で大宝律令施行(評の廃止、群の制定)

701年、藤原不比等正三位大納言に昇進

702年、持統天皇崩御

705年、武則天崩御

倭国則天武后と天智派によって壊滅的打撃を受けました。
更に、倭国天皇家本拠である九州大宰府が占領されたのです。

これにより吉野の盟約(第40代天武天皇皇后鸕野讚良皇女(後の持統天皇)がその間にもうけた草壁皇子を次期天皇であると事実上宣言した盟約。吉野の誓いとも)が果たせなかった天武王朝は草壁(軽皇子)を欧州へ行かせたということになるのでしょうか?

いったい歴史はどのようになっているのでしょうか。