落合・吉薗秘史3「日本皇統が創めたハプスブルク大公家」 佐伯祐三

 

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周蔵が築地本願寺から受けた要請

(手記引用)・・・・・P122

本願寺でおかしなこと頼まる。どうも本願寺の中に手ノ者がいるらしい。

大阪から、坊主の次男が、美術学校に入るために上京するが、美術学校に入るための道をとって欲しいとのこと。

これはどうしたものか。

(引用おわり)・・・・・・・・

要するに来春の受験で裏口入学させて欲しいとのこと。

目的は情報収集のための「犬」を養成すること。西本願寺はどうも古来からそういうことをしてきたらしい。

その「犬」とはパリで画家として有名になった佐伯祐三である。

 

1917年8月31日周蔵は築地西本願寺に行き佐伯祐三と会っている。

(手記より抜粋)・・・・・

大阪の西本願寺の次男で、、かなりの地位を占めている坊主の息子らしい。

大阪人らしくよくしゃべる人物である。

目的は日本一の画家になること。・・・ということは画家に日本一というのがあるのであろう。

「名声と金を手に入れること」と言う。

「あんまりえげつないやろか?」と問う。

「ハッキリしていてよいのではないか」と言う。

(引用おわり)・・・・・

しかし実のところ祐三の心理は複雑で、次男に生まれたがための長男には絶対勝てない宿命や、本願寺の方針をことわれないことや、自分の任務(スパイ)に対する不安が内面にあることを、後に精神カウンセラーの呉秀三教授に打ち明けている。

人格的には周蔵よりもしっかりした祐三を自分が人間的に支えるのはおかしいと考えた周蔵は、自分の役目は祐三の裏の証明、すなわち職務上(スパイ)での偽装を否定する証明をしてやるに尽きることを覚った。佐伯祐三が「犬」ではないことの証明、つまりアリバイの偽装である。

★祐三が周蔵に送った書簡

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~memo~

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この本は、30歳でパリで客死した佐伯祐三パトロンとして陰で佐伯を支えていた吉薗周蔵氏を、落合氏よりも前に初めて世に出した本です。

(序文引用)・・・・・・・・・・

論語の中に、次のような言葉があることをかねがね私は頭にとどめていた。すなわち「鳥の将に死なんとするときは、其の鳴くや哀し、人の将に死なんとするときは、其の言うや善し」。死を前にした鳥の鳴き声はかなしいし、また死に臨んだ人間のことばは真実なものだといったような意味であろうが、私はこの言葉の中に生命あるものが本来そなえた厳粛な真実が含まれることを感じないわけにはいかない。
(中略) 最後に、率直な私見を許していただくならば、私は吉薗周蔵という人物こそ、佐伯芸術をこの世に存立させるための基盤を作った近代特異の精神科医の草分けであったといえるように思っている。

(引用おわり)・・・・

この序文には周蔵のことを「近代特異の精神科医の草分け」と書いておられるが、実際周蔵は「草」の隠れ蓑として「精神カウンセラー」として「救命院」というものを建てているのです。精神カウンセラーとしての個人的な師は呉秀三であるということです。

呉秀三

呉 秀三(くれ しゅうぞう、元治2年2月17日1865年3月14日)- 昭和7年(1932年3月26日)は、日本医学者精神科医 日本の近代精神医学者のほとんどが、呉の息のかかった人といえる 。

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精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的觀察』(1918年)のなかで述べた『わが邦十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし』という一節は特に有名であり、東京都立松沢病院の敷地内に建立されている呉の銅像の元にも書かれている。

私宅監置の多くは自宅の暗い物置や便所の隣などに収監され、「室内なる被監置者の存在するも識別し得ざるほど闇黒たるものもあり」「其状況の全く動物小屋と相距る遠からざる如きものを之を認む」などと実情が報告されています。

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この一節を読むと、個人的に夢野久作の「トグラ・マグラ」をイメージします。

登場人物の正木教授は呉秀三をモデルにしたとの説もあります。

明治時代と精神病患者というのはとても興味深いテーマで、そこのところももっと探求してみたいと思っています。世の歪みと日本人の精神は深く関わっているはずですから。夏目漱石はそこのところを深く考えていた人物だと思います。で、おそらく考えすぎて神経症に罹ったのだと私は思っています。そして漱石を私淑しすぎてその後を引き継いだ芥川龍之介も同じようになってしまったと個人的には思っています。

★相馬事件★

明治時代の相馬事件と私宅監置による監禁型精神医療の成立 - はてな村定点観測所