落合・吉薗秘史3「日本皇統が創めたハプスブルク大公家」  明石元二朗

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明石元二郎といえば、ロシア革命で諜報家としての才能を発揮したということで有名であり、工作資金100万円(現在の40~50万円)を受け取り諜報活動を行った。

結果日露戦争の勝利に繋がったのである。

明石は工作資金を何に使ったのかも明記しており、余ったお金27万円をきちんと返納しております。

まあ、このような話しが通説ですが、この書籍によりますと信じられないような内容になっております。が、新事実として要約してみます。

 

★日本には欧州に國體ネットワークがあり、欧州の王家と婚姻関係を結んでいたという史実があります。たとえば、上原勇作はポンピドー家の女性の女婿になって、フリーメーソンに入会。

明石元二郎と上原勇作は國體ネットワークの配下であり、対露政策は明石個人の諜報案ではなく國體からの命令で実行していた。

睦仁親王は、日露に備えて明石大佐に國體である「欧州北朝」ネットワークを利用するように要請。「欧州北朝」はこれを承諾したが、ロシアと協調関係にあるドイツ、フランス両国は日英同盟と対立していたので欧州大陸は表向き「反日」であった。

★明石の工作資金は山形有朋からの100万円としているが、実はそれどころではなく、西本願寺大谷光瑞法王から1000万円を超す資金提供を受けていたのである。

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大谷光瑞(おおたにこうずい、1876-1948)

日本の宗教家()、探検家浄土真宗本願寺派第22世法主伯爵、国営競馬馬主

妻は大正天皇の皇后・九条節子の姉・籌子(かずこ)。

1908年明治38年)、六甲山麓の岡本(現在の神戸市東灘区)に盟友伊東忠太の設計になる二楽荘を建て、探検収集品の公開展示・整理。

1913年大正2年)に孫文と会見したのを機に、孫文が率いていた中華民国政府の最高顧問に就任した。

生前は二楽荘の他、大連(浴日荘)、上海(無憂園)や台湾高雄(逍遥園)、インドネシア(環翠山荘、耕雲山荘)などに別荘を設けた。

大谷家は親鸞を継ぐ「生き仏」と称されていた。

~memo~

19世紀後半から20世紀初頭、帝国主義の色濃い時代に、多くの探検家が登場しました。そうしたなか、仏教の研究を主目的とした探検隊が日本から送られました。それが大谷探検隊です。驚くのは、新疆ウイグル自治区トルファンの墓を掘って掘って掘りまくってミイラを発見したこと。全部で12体あり、うち1つは子供のミイラでした。

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*左がミイラに付属していた人首蛇身神像。左手に尺度を、右手にハサミを持っていて、世界の創造主とされる。

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一般に外国の探検隊は大きくて価値の高いものしか持って帰りませんが、研究目的だった大谷探検隊は「現地の発掘品は1つ残らず全部もってこい」という指令の下、墓に供えてあるお菓子から、死体に敷いてある編み布、さらに葬儀用の紙細工まで持ち帰っています。その数がつもりつもって数万点になっており、今となっては非常に重要な資料となっています。

 

この記事をご覧ください。非常に面白いです。

大谷光瑞と大谷探検隊・ミイラ発掘

・・・・・本題にもどります。

★國體「欧州北朝」ネットワーク(これは落合氏独特の造語です。詳しくは書籍を熟読して理解してくださいませ)を知っていたものは大山巌野津道貫などの薩摩首脳の他、上原勇作、明石元二郎大谷光瑞などごく少数の者。ちなみに山形有朋はイエズス会派(嵌められた?)である。

大山巌

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野津道貫

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イエズス会ロシア帝国の壊滅を望んでいたが詳しいことはわからない(by落合氏)

しかし国際金融連合は商売として日本に有償で金融支援。