落合・吉薗秘史3「日本皇統が創めたハプスブルク大公家」 ジャン・コクトー

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落合・吉薗秘史1と2もまだまだ読み返す必要がありますが、とりあえず3巻目に参ります。

最初の自序のところで早くも目からうろこ。

(本文引用)・・・・・・・・・P7~

ウィーン大学医学部のラントシュタイナー研究室まで周蔵を案内してくれたのは明石元二郎が紹介してくれた「草」のネットワークである。

この「草」のネットワークは神聖ローマ帝国の歴代皇帝位についたハプスブルク家が全欧州に張っていたもので、いわばハプスブルク家の秘密結社であったのだ。

明治元年にフランスへ送られ、ハプスブルク一族の女婿となった上原勇作がこれに参加したのはいうまでもない。福岡黒田藩士玄洋社系國體参謀の明石に、上原がこの秘密結社を紹介。

甘粕正彦藤田嗣治ら上原の配下も参加したこの結社の総長になったジャン・コクトーを、周蔵に紹介したのは藤田嗣治である。

しかし周蔵は参加しなかった。

~memo~

佐野眞一著「甘粕正彦 乱心の曠野」より引用

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甘粕は甘粕事件後、千葉刑務所に入ったが、2年で出所しそれからフランスに渡ったことになっているが、実は関東大震災前にも軍の密命を帯びてひそかに渡仏している。

そこでフリーメーソンの組織に秘密裡に入会した甘粕は、その組織を通じて無政府主義者の大杉が国家権力とのダブルスパイであることをつきとめた。それが、関東大震災下の大杉殺しに繋がった。

(引用おわり)・・・・・・・・

しかし、ジャン・コクトーがでてくるとは夢にも思いませんでした。

・・・が「ダ・ヴィンチコード」でシオン修道協会の総代としてジャン・コクトーがでてきます。これはもちろん小説内の世界ですが。

簡単にあらすじを書いておきます。

(引用)・・・・・・・

物語中では、ラングドンやティービングがヌヴーに説明するという形で、シオン修道会が以下のような組織として書かれています(あくまでも小説中です)

シオン修道会(The Priory of Sion)は、1099年に、十字軍の指揮官であったゴドフロワ・ド・ブイヨンというフランス人によってエルサレムで結成された。ゴドフロワは南仏プロヴァンスにおいてかつて有力な貴族であったメロヴィング朝の末裔である。その一族はキリストの時代よりずっと、キリストの血脈とその事実を抱えており、ゴドフロアが自身の身に危険が迫ってもその秘密を守り抜くための組織として設立したのがシオン修道会である。そしてシオン修道会が、ヘロデの神殿跡に隠されていたその事実を裏付ける秘密文書の捜索と守護を目的として結成したのがテンプル騎士団だった。テンプル騎士団は、治安維持という名目でエルサレムを訪れ、ついにその秘密の文書を見つけたという。
 シオン修道会は、その秘密を『聖杯』と呼び、何度もその隠し場所を移しながら、キリスト教会にとって最も都合の悪いその事実を、暴露する気を窺っていた。
 いつしかシオン修道会の存在は誰にも知られる事なく闇と消えてしまったが、最近発見された秘密文書には、そのシオン修道会が実在していた事、そして歴代の総長の名前が列挙されていた。その中には、ニュートンボッティチェリ、ビクトル・ユゴー、最近ではジャン・コクトーといった名前があり、さらにレオナルド・ダ・ヴィンチも入っていた。
 たしかに、ダ・ヴィンチの描いた絵画の中にはいくつも宗教的で秘密めいた暗示を連想させるものがある。「最後の晩餐」然り、「岩窟の聖母」然り、である。

(引用おわり)・・・・・・・・・・

フィクション、ノンフィクションが魅惑的に入り混じっていろんな世界観が生み出されますが、現実秘密結社があることは事実なのでしょう。(メロヴィング王朝は、落合史観によると王朝に軽皇子が入りピピン2世と同体になったということです)

コクトーなんかは純粋に心の底から人間の自由な感性を愛した人で、芸術家としてフリーメーソンに関わっていたのではないかと思います。政治色はみじんもないと個人的には考えています。そこのところはモーツァルトにも共通性が伺えます。生涯子供の感性を持ち合わせていたのでしょう。

しかし彼の作品「恐るべき子供たち」の世界は魔力に満ちていますが。

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~memo~

日本はおそらく古い時代から欧州の王家と密接なかかわりがあったのでしょうね~

ハインリヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵と結婚した青山光子。

次男リヒャルトが、EUの理論的基礎を作った。これも昔からの繋がりがあってのことではないでしょうか。

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リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー

(引用)・・・

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/message015.htm

彼は、日本の良き理解者でした。たとえば満州事変(一九三一年)が起きた直後、欧米の多くの人々は日本を非難しました。けれども彼は、日本のその行動が中国の無政府状態に発した、やむを得ぬ処置であることを理解していました。また、日本の行動がソ連のアジア侵略を阻止するためであったことも、理解していました。彼は、
 「いま日本は、極東における……ロシアのボルシェヴィズム(共産主義)と、支那無政府状態の怒濤をかぶって立つ岸壁である。日本がボルシェヴィズムの脅威を感じていることは、欧州と異なるところがない。日本はソ連邦のアジア侵略を阻止しうる唯一の強国である
 と述べ、日本に信頼を寄せたのです。そして日本と欧州との提携を呼びかけました。
 また、カレルギー伯が戦後に主張したヨーロッパ連合の理論は、日本の「大東亜共栄圏」の理想に触発されたものでした。
 歴史上すべてといっていいと思いますが、それ以前の帝国はいつも、一つの国が周辺諸国を囲い込み、力で支配することを求めてきました。ロシアの拡張主義(パン・スラビズム)、中国の朝貢冊封主義(貢ぎ物を納めさせて支配する)、ドイツのパン・ゲルマニズム、アメリカのパン・アメリカニズムなど、みなそうです。また大東亜戦争以前、アジアのほとんどの地域は、欧米諸国の植民地と化し、苛酷な搾取が続けられ、アジア人は奴隷的な地位におかれていました。これらはすべて、垂直的な支配の関係です。
 しかしそうした中、水平的な共栄を模索する思想が日本で生まれたのです。EUは、ヨーロッパ版の「大東亜共栄圏なのです。