阿片王 満州の夜と霧  榊原農場事件

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今日はこちらの書籍から抜粋。P142~

満州事変が起きる2年前(1929年)、奉天で榊原農場事件という、満州のアヘン問題を語るとき必ず引き合いに出される破天荒な事件が起きた。

奉天軍閥張作霖関東軍によって奉天郊外で爆殺された後、その息子の張学良は父の陵墓に通じる郵便鉄道の敷設を計画した。

これに真っ向から反対したのが、榊原農場を所有する榊原政雄という男だった。

榊原の名前は大川周明の日記にも再三出てくる。

大川は榊原に手紙も多く出している。二人の深い関係は、榊原の妹が大川の許婚だったということに起因している。榊原はかねてより奉天の満鉄付属地を含む数百万町歩の土地は自分の所有地だと主張しており、張学良が計画した軽便鉄道は自分の所有地を通過することになるので絶対にならんと主張した。

榊原は数百人の満州ゴロを集めて、張学良が敷設にかかっていた軽便鉄道の実力撤去に乗り出した。このまま放置すれば、張学良の軍隊と満州ゴロが衝突するのは必至とみた関東軍は中隊を現地に出動させ軽便鉄道の撤去を実力行使で強行した。

榊原農場にはその後も満州ゴロが多数たむろして大量のヘロインを白昼堂々と生産する完全無法地帯と化した。榊原の背後に関東軍の存在があったことはあきらかだった。

自身で満州でヘロインを製造した経験をもつ山内三郎も「実際にこの商売に入ってみてわかったことは、、業者同士の競争から生じる揉め事のため、暴力を必要とするということであった。」と正直に告白している。満州におけるアヘンには多かれ少なかれ関東軍という満州最大の暴力装置がからんでいた。

里見遺児の芳名帳にも顔を出す阪田誠盛も、満州のアヘン問題を語る上で欠かせない人物である。

中国東北部奉天省吉林省黒竜江省の東三省を武力で制圧して満州国を建国した関東軍は1933年、熱河(ねっか)への侵攻を開始した。

熱河は満州の一部だという、熱河侵攻を正当化する関東軍の一応の大義名文だった。

だが、別角度からこれを見るなら、熱河侵攻は関東軍のアヘン獲得作戦だったとも言える。熱河アヘンは甘みがあり香りもよいと評判であった。

満州国政府に勤務し、上海特務部に勤めたこともある花野吉平は、自分の著書の中で、熱河アヘンと関東軍参謀の板垣征四郎の関係についてふれている。板垣は極東国際軍事裁判で絞首刑になった男である。

関東軍の板垣高級参謀は特務機関長時代から中国人とアヘン工作をしており、熱河作戦の強行者であり、熱河占領はアヘンの財源を関東軍が支配することにあった」

とある。

また熱河で飛行機の上からビラを撒いたというようなこともあった。

阿片専売制度ができたから大いに利用しろ、熱河ではケシの栽培を公認するから作れという内容のビラだった。

関東軍が手に入れた熱河アヘンの大半は熱河から近い大消費地の天津に運ばれて密売された。

関東軍が熱河アヘンの獲得に躍起になったのは、関東軍と敵対する蒋介石のアヘンルートを遮断するためでもあった。

やがて関東軍は熱河のアヘンも底を尽きると、財源確保のため遠くペルシャ産アヘンにまで手を伸ばさなければならない局面に立ち入った。

 

~memo~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

支那事変(日中戦争)と上海の「サッスーン財閥」

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