國體アヘンの正体 ( 落合・吉薗秘史 2)を読む前に  阿片王里見甫VOL.2

里見甫の阿片販売の拠点は宏済善堂(日本が日中戦争中に作った阿片問屋)

であった。

(本文引用)・・・・・・・・・・・・

宏済善堂は満州虹口(ホンキュー)の四川北路に面した第2歌舞伎座の近くにあった。

宏済善堂はもともと東京日日新聞主筆だった岸田吟香が東京銀座に出した楽善堂薬舗 の上海分店として明治11年(1878年)に出したものであった。

洋画家の岸田劉生の父親として有名な吟香は、幕末期、横浜でアメリカ人医師ヘボンに眼の治療を受けたことが縁になって、日本初の和英、英和辞典の編纂を助け、日本最初の民間新聞を出したジャーナリストである。同時にヘボン伝授の目薬を売り出した実業家でもあった。吟香は中国への関心も深く、里見の母校の東亜同文書院の設立に寄与したことでも知られる。

里見はその店を買収して看板を宏済善堂とかえ、アヘン販売の拠点とした。

里見はその店にはめったに姿を見せず普段はピアスアパートの自宅で執務をしていた。

7階建てのピアスアパートは虹口(ホンキュー)地区で1,2を争う高級アパートだった。

その里見にピアスアパートで会い、直接アヘン取引をした人物が鹿児島市にいる。丸山進氏といい敗戦まで満鉄上海事務所に勤務していた。

1938年、南京に入城した日本軍は、満鉄上海事務所に中国経済の専門家が欲しいと依頼してきた。この要請を受け丸山氏らスタッフは南京に行くことになった。

この当時の南京市の財政は火の車だった。丸山氏が最初に取り組んだのは市民ひとりひとりの収入を調査した上での新しい税制の導入だった。

そしてこういいつけられました。

「すぐに新しい税法体系をつくってくれ」

私たちはすぐに上海の内山書店主の内山完造氏に頼んで税法の専門書を集めてもらいました。この結果として里見さんと知り合うことになったのです。

内山完造は魯迅と格別の親交があったことで知られている。谷崎潤一郎林芙美子武者小路実篤などが贔屓にしていた。

南京市民の間では阿片吸飲者が相当数いました。阿片は安価なものではありませんから、その購入代だけで収入のほとんどを失ってしまう人も珍しくなかった。

阿片が市の財政を圧迫していたのです。しかも中毒者となれば仕事もできません。

税収を確保するためにはアヘン問題を解決しなければならなかったのです」

南京市に戒煙局が設置され、漸禁政策がとられました。

公共のアヘン窟のようなものを作りそこでのアヘン吸飲は認めました。

そのためには市が良質で安価な阿片を一定程度確保しておかなければなりません。

ヤミルートのアヘンは質が悪いだけでなく非常に高価です。

そこで上海の里見機関から阿片を仕入れることに決めました。昭和13年の春頃でした。

(引用おわり)・・・・・・・・・・・・・

 

内山書店と魯迅に関してのブログを見つけましたので、ご覧ください。

写真が多く街の様子などもよくわかり興味深いです。

http://www.e-asianmarket.com/asia/luxungongyuan21.html

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 ↑虹口(ホンキュー)の街

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↑内山書店