「国際ウラ天皇と数理系シャーマン」 両部神道・吉田神道・イエズス会

両部神道吉田神道とはなんなのか調べてみたいと思います。というのはこの本の中に出てくるのですがこれらがどういうものなのかわからないで読み進めていってもおもしろくないからです。

その前に落合秘史のポイントを書いておきます。

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室町時代から江戸時代にかけてこの二系統(両部神道吉田神道)は対立関係にあったようです。

さらにそこにイエズス会というものが入ってきて複雑になってきます。

イエズス会キリスト教の普及に来たというのが一般説です。

それももちろんあるでしょうが、この本を読んでいるとどうもイエズス会吉田神道に深く侵入し、そして仏教の破壊を企てていたようです。

吉田神道を通じて織田信長を操り、比叡山を焼き討ちさせたのもイエズス会です。その様子を察した伏見宮が、明智光秀に命じて織田信長を成敗させました。

そして吉田神道も一時衰退させるため、家康の死後は権現を神号とする両部神道で祀りました。(ちなみに秀吉は吉田神道系の明神号で祀られました)

 

家康が権現号を以って祀られたとみるや、天下の大勢はみんなそちらになびいてしまい吉田神道は衰退します。

そして家康に謎の僧天海を側においたのも、もちろん伏見宮です。イエズス会に対する防衛策のためです。天海はいうまでもなく伏見宮の出です。(第7代伏見殿邦輔親王(くにすけしんのう)の子です)

簡単にまとめましたがこれだけでも目からうろこの内容だと思います。

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では次に両部神道について調べてみましょう。

 その前に神道とは何か。

津田左右吉の『日本の神道』より抜粋
  ①古くから伝えられてきた日本および日本人の民族的風習
   としての宗教(呪術も含む)。
  ②神の威力、力、はたらき、しわざ、神としての地位、神
   であること、もしくは神そのもの。
  ③民族的風習としての宗教に何らかの思想的解釈を加えた
   もの(両部神道唯一神道、垂加神道など)
  ④特定の神社で宣伝されているもの(伊勢神道、山王一実
   神道など)
  ⑤日本に特殊な政治もしくは道徳の規範としての意義に用
   いられるもの。
  ⑥宗派神道天理教金光教など

 で、両部神道の定義なのだが、

両部神道(りょうぶしんとう)とは、仏教真言宗密教)の立場からなされた神道解釈に基づく神仏習合思想である。

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金剛界曼荼羅

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↑胎蔵曼荼羅

宇宙は大日如来の顕現であるとされる。それは大日如来を中心にした金剛界曼陀羅胎蔵曼陀羅の儀規として表現されている。この金剛界胎蔵界の両部の曼陀羅に描かれた菩薩を本地とし、日本の神々をその垂迹(すいじゃく:人々を救うため、仮に日本の神の姿をとって現れること。)として解釈した。

天照大神胎蔵界大日如来(日天子)であり、豊受大神は、金剛界大日如来(月天子)であるとする。

平安時代後期には、神道を理論的に説明する教説として僧侶による仏家の神道理論が成立した。当時の仏教界の主流であった密教二宗のうち、天台宗の教えを取り入れたのが山王神道真言宗の教えを取り入れたのが両部神道である。

私が思うにこの両部神道というのは古くは修験道からきているのではないかと思うのですが。

おそらく吉野の山岳修験者たちはのちのち伏見宮諜報機関となっていくのでしょう。

空海もあやしいものです。(あ、でも空海の頃は伏見宮はまだ存在していませんね)

もしかしたら空海伏見宮の創作か、あるいは空海伏見宮の前身か、そういうことも考えられるかもしれません。

鎌倉時代末期から南北朝時代になると、僧侶による神道説に対する反動から、逆に、神こそが本地であり仏は仮の姿であるとする神本仏迹説をとなえる伊勢神道吉田神道が現れ、江戸時代には神道の主流派の教義とな。っていく。

吉田神道とは

吉田神道(よしだしんどう)とは、室町時代京都吉田神社神職吉田兼倶(かねとも)によって大成された神道の一流派。兼倶が吉田神道を唱えた背景には、両部神道伊勢神道に対抗する意図があった。もともとは卜部氏(うらべうじ)で古代の祭祀貴族の一つで、卜占(ぼくせん)による吉凶判断を業としていた氏族である。

吉田兼好もここの出自である。

現在は聞くこともなくなった吉田神道であるが、江戸時代吉田家は、「神使い」として神道界を牛耳っていた。吉田家は、神道の大御所として君臨していたのである。