「奇兵隊天皇と防長卒族の明治維新」 大室家を保護した佐藤甚兵衛(佐藤栄作氏の祖先)

今日はこちらの書籍。

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明治天皇入れ替え説は鹿島昇氏が有名ですが、落合氏もこの謎に挑戦(?)されています。

まず田布施から出た大室寅之助(明治天皇)とは何者なのかということ。

・・・・・・・・・・・・・・・P67~要約

まず明治天皇南朝なのですから、その血筋を受けついでないといけません。

落合氏によると、、、、

興良(おきよし)親王護良親王の王子・後醍醐天皇の孫)が田布施に潜入したのは、この地に鎌倉時代から佐藤甚兵衛がはいり、隠然と支配していたからです。

佐藤義清(のりきよ・甚兵衛)は上皇に仕える北面の武士で紀伊国の上級荘官だったのですが、鳥羽と後白河上皇の命を受けて、1140年に出家します。

理由は院政を支えるための山林管理を主とする荘園管理人のネットワーク作りにあったのです。

法号を「西行」と称し、歌詠みとして全国を周回しながら作り上げたのが「甚兵衛」と称する荘園管理職で、今も全国に60人ほどいると聞きます。

西行の同族の佐藤基治は、奥州平泉の藤原秀衡(ひでひら)の参謀として知られ、子息の佐藤継信、忠信兄弟が源義経に仕えて奮闘する軍談は「平家物語」によく知られております。

大室家の保護を頼まれた田布施の甚兵衛は佐藤姓で、昭和の御代にその家から日本国首相をふたりも出しました。

佐藤栄作の夫人寛子は実家が佐藤甚兵衛基治の直系であると、回想録に書いています。

逆にいうと、岸信介佐藤栄作が揃って首相に就いたのは佐藤甚兵衛の家門によるところが大きいといえるでしょう。

また岸信介が渡来朝鮮人系と噂される岸要蔵家の養子になったのも必然の理由があったのです。

まさか西行法師が関わっていて、しかも佐藤家の祖先だったなんて驚きです。

とにかく南朝が佐藤家とともに山口県に入ったことがわかりました。

歴史というのはやはり連綿と繋がっているのですね。

それもある血筋や家系によって・・・。しかも一般人にはわからないうちに・・。

話しを先に進めましょう。寅之助の母スヘの出自が肝心です。

田布施では大室家を守るため興正寺の別院を田布施に設けていたということです。

これもあらかじめしくまれていたものなのでしょう。そしてその興正寺の娘がスヘだったのです。スヘは回船業者の大室家に嫁ぎます。

大室家というのは回船業者として栄えていたらしいです。しかし天皇家と回船業者って!?

まあ、後醍醐天皇隠岐の島に流されてその島の回船業者の名和氏の庇護を受けたことからの縁なのでしょうか?

ここらへんのところは非常に難解です。いまひとつ私には理解できておりません。

大室家は地家性を名乗っていて、その末裔の地家康雄氏は「うちのじいちゃん(寅之助)が南朝の末裔なんてうそだ」と証言されているとのこと。

http://www.suzume.co/tabuse.html

落合氏はもちろんその情報も知ったうえで、いや南朝だ!と書いておられるのですが私には難解なのです。

しかしおもしろいのはこの家系から橋本龍太郎氏が出ていることです。橋本龍太郎氏の祖母大室ヨネ(米)の父大室庄吉の兄大室寅之祐(東京明治天皇)になるそうです。

やはり何かあるのでしょうね。

 

<補足> 鹿島昇氏の著作

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☆落合史観に影響を与えた鹿島昇氏の明治天皇すり替え説 

吉田松蔭は偽朝である北朝天皇を倒し、正統である南朝天皇を立てることによる南朝革命論を打ち立てており、南朝方の菊地家の末裔である西郷隆盛がその考えを聞き、薩長連合が誕生したというのです。そして岩倉具視伊藤博文の策略によって北朝孝明天皇と睦仁親王が殺され、長州に匿われていた南朝の末裔である大室寅之祐が睦仁親王とすり替えられ、京都に行き明治天皇として即位したというものです。

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