「国際ウラ天皇と数理系シャーマン」 三井と小栗忠順

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幕末の有能な人材というと小栗忠順日米修好通商条約の批准書交換のため勝海舟やジョン万次郎、福澤諭吉らとワシントンへ向かったり、フィラデルフィアでは通貨の交換比率の見直し交渉を行い、その後ワシントン海軍工廠の視察などを果たしたり国際的に活躍した人です。彼はそのまま世界一周の航路を辿って日本へと帰国しました。が42歳で処刑されてしまうのです。

・・・・というのが通常の話しなのですが、落合秘史によると、彼はその後も生き残ったと書かれています。

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小栗は塚原昌義とフィラデルフィア三井物産の外郭としての在外部門を設立していました。三井家は幕末において勘定奉行小栗の支配下にあったようなのです。

もっといえば三井家そのものが室町時代から伏見殿ネットワークの要員であったらしいのです。「堀川政略」においては当初から小栗のフィラデルフィア亡命を決めており

しかもわざわざシカゴ造幣局に出向いて日米貨幣の比較実験をしてみせたというのです。

驚くべきことは、フィラデルフィア建設には当初から伏見殿海外ネットワークが関係しており、そのためフィラデルフィアの旧市内は平安京をモデルにして碁盤目の条坊制を採っているそうです。

フィラデルフィアはまたクエーカー教徒が集まっている土地です。

クエーカー教はケルトに発祥する信仰をキリスト教風にしたもので、伏見殿海外ネットワークと深い関係があるということです。