「国際ウラ天皇と数理系シャーマン」 纂輯御系図 P32

天皇の系図のことを纂輯御系図(さんしゅうおんけいず)というのだそうですが、その系図の中に、「伏見宮貞成(さだふさ)親王 御父 不詳 母 西御方(にしのおかた)」というのがあるようです。

本来ならば御父 不詳などと記された皇室系図などが天下に公開されるなど絶対にありえないらしいです。

このことが今まで歴史家も政治家も朝廷も問題にしなかったのは一大問題だと落合氏は書いておられます。

で、一体誰がこの内容に関与したのか?

 

出雲大社宮司千家尊福(せんげたかとみ)の下の大日本皇道立教会のメンバーだと落合氏は書かれておられます。

 

そもそも私には大日本皇道立教会というものがなんなのかよくわからないのですが。

 

大日本皇道立教会(だいにほんこうどうりっきょうかい)は、南朝を正統とし、その皇道に沿った教育を行う趣旨の元で、1911年に創立された。1890年久邇宮朝彦親王を総裁に中山忠英(父親は中山忠伊)が初代会長に就任し、大隈重信一木喜徳郎牧口常三郎戸田城聖、数名の華族により構成されている。後には児玉誉士夫も加入。後に、大日本皇道立教会の会員のうち、創価教育学会(現在の創価学会の前身)の創立にかかわるものがいた[1]

その後、家督を継いだ中山忠英の三男中山忠徳(ただのり)は神道研究に努め、その門下には大本教の開祖・出口王仁三郎PL教団開祖・御木徳近、戦前戦後の陽明学の大家・安岡正篤(晩年に有名占い師の細木和子氏と結婚)、そして山蔭神道宗家の山陰基央らの昭和の偉人を輩出させている。

 なんとなく意味深ですね。

ちなみに中山忠英というのは、幕末の尊皇攘夷派の武装集団『天誅組(てんちゅうぐみ)」の主将中山忠光明治天皇の叔父)の息子である。のち暗殺された。