「国際ウラ天皇と数理系シャーマン」 落合莞爾氏と吉薗周蔵の手記との関連

 

☆落合莞爾氏と吉薗周蔵の手記との関連

私の第1の疑問は本書のP21に突如出てくる「吉薗周蔵の手記」という単語。

ネット上に氏のインタビュー記事がありましたので掲載します。

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まず、私が歴史調査を始めたきっかけからお話ししましょう。始まりは平成7年(1995)9月に来訪された吉薗明子(よしぞの・あきこ)さんから、家蔵の佐伯祐三絵画の真贋調査を頼まれたことでした。明子さんの父・吉薗周蔵(よしぞの・しゅうぞう)の日記を見ると、周蔵は大正から昭和初年にかけて陸軍に最高首脳として君臨した元帥・上原勇作の個人付き特務(秘密諜報員)で、上原元帥の命を受けて陸軍に関わる極秘の国事工作に携わっていたことがわかりました。  およそ秘密諜報員たる者が手記を残すのは、いざという場合に自分を守るためで、自分が置かれていた立場と自分の行為の正当性を証明するのが最大の目的です。

 

吉薗周蔵もその例に洩れず、陸軍大臣・上原勇作の特務を引き受けた18歳の大正元年八月末日から日誌をつけていました。  その「吉薗周蔵手記」は、紛れもなく日本近代史の第一次資料です。私は、周蔵自身が記した生々しい記述を通じて日本近代史の裏側を知ることとなりました。 「周蔵手記」の解読を進めた私は、8年ほどで解読をあらかた終えました。あらかた終えた段階になって、大きな謎が浮かびました。吉薗周蔵が上原元帥の命令で陸軍に関わる国事に携わっていたことは明白ですが、問題は周蔵の上官(運用者)の上原元帥です。  そればかりではありません。甘粕大尉・久原房之助大谷光瑞師らの活動は、どう見ても純然たる個人のものでなく、特定の国際的組織に属しているようにしか見えないのです。日本社会で各界の頂上にいるこの人たちは、全員が世界的規模の巨大組織に属していることを否定すべくもありません。その国際的組織がいったい何なのか。それが私に浮かんだ謎でした。  私にとっても謎だったその国際勢力の外郭がようやくつかめたときには、平成も20年代の入り口を過ぎていました。

https://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201609_post_10830.html

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上原 勇作(うえはら ゆうさく、安政3年11月9日1856年12月6日) - 1933年昭和8年)11月8日)は、明治~昭和期の陸軍軍人

元帥陸軍大将従一位大勲位功二級子爵聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス(GCMG)。聖マイケル・聖ジョージ勲章(Order of St Michael and St George)はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国の騎士団勲章。正式タイトルは“The Most Distinguished Order of Saint Michael and Saint George”

陸軍大臣教育総監参謀総長

★落合情報:彼はフランスに留学したときにフリーメーソンに入会。

ポンピドー家の娘と結婚。

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久原 房之助 (くはら ふさのすけ1869年7月12日明治2年6月4日) - 1965年(昭和40年)1月29日)は、日本実業家政治家衆議院議員当選5回(16、17、18、19、25回総選挙)。逓信大臣内閣参議大政翼賛会総務、立憲政友会(久原派)総裁を歴任。

日立製作所日産自動車日立造船日本鉱業創立の基盤となった久原鉱業所日立銅山)や久原財閥の総帥として「鉱山王」の異名を取った。第一次世界大戦後の恐慌を機に政界へ進出。「政界の黒幕フィクサー」と呼ばれ、右翼に資金を提供して二・二六事件に深く関与した。戦後はA級戦犯容疑者となり、公職追放となった

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★落合史観では・・・

明石は、日露戦争の勝利のために陸軍の100万円(約80億円)の予算を使ったと言われていますが、実はその10倍の1,000円(約800億円)の資金を本願寺大谷光瑞から得ていたという事です。

明石元二郎

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大谷光瑞 おおたに-こうずい

 
1876-1948 明治-昭和時代の僧,探検家。
明治9年12月27日生まれ。大谷光尊の長男。妻は貞明皇后の姉九条籌子(かずこ)。明治35年大谷探検隊を組織して,西域,インドを調査。
36年浄土真宗本願寺派22世となる。大正3年財政破綻(はたん)と疑獄事件で辞任。以後,中国などで農園を経営,大アジア主義を主張した。昭和23年10月5日死去。73歳。京都出身。学習院中退。法名は鏡如。
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甘粕 正彦(あまかす まさひこ、1891年(明治24年)1月26日 - 1945年(昭和20年)8月 20日)は、日本の陸軍軍人。陸軍憲兵大尉時代に甘粕事件を起こしたことで有名( 無政府主義者大杉栄らの殺害)。短期の服役後、日本を離れて満州に渡り、関東軍の 特務工作を行い、満州国建設に一役買う。満洲映画協会理事長を務め、終戦直後、 服毒自殺した。

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★落合情報によると甘粕は上原勇作の代理を務めたということです。

藤田嗣治

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佐伯祐三

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★落合情報:佐伯、藤田共に甘粕の草(スパイ)である。