落合莞爾 「国際ウラ天皇と数理系シャーマン」

 

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落合秘史の3部作のうちの第2弾を取り上げます。(というか落合氏の著作を読むのはこれがはじめてです)

ちなみに氏は「明治維新の極秘計画」(秘史Ⅰ)、「国際ウラ天皇と数理系シャーマン」(秘史Ⅱ)、「南北朝こそ日本の機密」(秘史・特別篇)としセットにされています。

落合氏の著書を読むにあたって、天皇や歴史に対する用語や知識のなさのためにひとつひとつスマホ検索をしながらの、なんだか受験勉強のような面倒きわまりない読書体験になってしまいました。

また読み始めてもまもなく前ページの記憶がなくなるという恐るべき事態に陥るためかなりの日数を費やしてしまいました。

そして今その内容はおよそ半分も頭に入っていないのではないでしょうか。

 

また氏がなぜ歴史学者でもないのにこのような取り組みをはじめたのかという背景も、誠に面白いのですがなかなかに複雑で、長年氏と寄り添った読者ならいざ知らず、いきなりこの著作から読み始めた私には「吉薗周蔵手記」というものがまずなんのことかさっぱりわかりませんでした。

これは彼独自の発見と歴史体験だったのです。氏はこの手記を発見していろいろな歴史の裏事情を知ったと思われます。

 

四苦八苦しながらでもおもしろく著作を読み終えたのは、氏の独創的なネーミング力となんとなく紙面に滲み出ているキャラクターのせいでしょうか。

「国際ウラ天皇」だとか「数理系シャーマン」というのも氏の独自の呼び名だと思うのですが、一歩間違うとトンデモ説のような雰囲気も醸し出してしまう危うい感じです。

 

まあ、とにかく本書に入ってゆきましょう。

 

<補足>

「国際ウラ天皇」とは落合史では「伏見宮」のことを指しています。

 

伏見宮家の起源

天皇は伝統的に男系継承を旨としているため、古来より天皇の男系男子親王・王)は跡取り補として尊重された。だが大勢の親王・王を養うことは天皇経済をもってしても不可能であり、安時代以降は特に嫡流に近い有親王以外は、「」「」などの姓を与えて臣下(貴族)としたり、出させたり、既存の高位貴族に養子に出したりと、様々な手段で皇族から切り離すようになっていった[1]

そのため嫡流から外れた親王・王のいうちに皇室から消えてしまうのが常であった。皇位を巡ってしい争いが展開された両統迭立期・南北朝動乱期には、皇位継承争いに敗れた有親王の男系男子がしばらく親王・王の地位を保ったまま皇室に残るケースも見られたが、彼らの大半は数世代のうちに消えていった。

このうち北内の皇位継承争いに敗れた崇天皇の嫡男・栄仁親王の一族は伏見御料での逼塞を余儀なくされていたが、1428年に当時の天皇嫡流の断絶が確定すると、栄仁親王の孫・仁王が次の天皇(後天皇)として即位、嫡流の地位を奪還した。すると彼はの貞常親王に対し、その子孫が代々「伏見殿」を称して親王の地位に就くという内容の特権を与えた[2]。これが伏見の始まりである。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%97%A7%E7%9A%87%E6%97%8F

 

 伏見宮家は通常「北朝」とされていますが、落合史では「南朝」であるとしています。

落合氏がなぜ伏見宮を「南朝」なのではないかと疑問が沸いたのかは、徳田武氏の著作「朝彦親王伝 維新史を動かした皇魁」の中で北朝伏見宮家である朝彦親王が、自分は南朝であると言うくだりがあって疑問に思ったのがはじまりだそうです。

 

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